こんにちは!競馬を楽しむ研究会のヤンヤンです。
今回は全てのホースマンの憧れ日本ダービーの歴史について色々と調べてみました。
日本ダービーとは?
日本ダービーは副称であり、正式には東京優駿です。
しかし、一般的には日本ダービーで呼ばれることが多いです。
創設は1932年4月24日で、皐月賞、菊花賞とともにクラシック三冠レースの1つです。
クラシックレースの中でも日本ダービーは特別で、ダービーを勝つことは全てのホースマンの夢です。
日本ダービーはどんなレース?
日本ダービーは東京競馬場の芝2400mで行われるが、これは1934年に東京競馬場が目黒から現在の府中に変わって以来、一切変わっていません。
牡馬クラシックレースですが、牝馬の出走も可能なレースです。
過去に牝馬でダービーを制したのは3頭でヒサトモ(1937年)、クリフジ(1943年)、ウォッカ(2007年)である。
昨年(2021年)にウォッカ以来の牝馬で制覇を目指したサトノレイナスは惜しくも5着に敗れています。
ダービーの格言
ダービーにはいくつか格言があります。
その中でも有名なのが「最も運のある馬がかつのがダービー」です。
現在はフルゲートで18頭のダービーですが、過去には20頭以上出走も珍しくはありませんでした。
最も多かったので1961年の第28回日本ダービーで、出走数は32頭でした。
大外の32番目になるとどんなに実力のある馬でも勝てないです。
そのためダービーでは枠順が非常に重要であり「最も運のある馬が勝つ」と言われるようになりました。
近年でも8枠の好走率は低く、昔ほどではありませんが、運の要素は必要であると思われます。
ちなみに皐月賞は「最もはやい馬が勝つレース」と言われ、菊花賞は「最もつよい馬が勝つレース」と言われます。
第1回日本ダービー
第1回の日本ダービーがどんなレースだったのか気になったので調べてみました。
第1回日本ダービー出走数
まずは出走数ですが19頭出走していました。
第1回日本ダービー賞金額
優勝賞金は1着馬で1万円でした。(当時はかなり高額だったそうです)
ちなみに2022年の日本ダービー1着馬賞金は2億円です。
ちなみにこの頃の大卒銀行員の給料は約70円だったそうですよ!
第1回日本ダービーの勝馬
第1回の日本ダービー勝馬はワカタカと言う馬です。
鞍上は函館孫作と言う騎手です。
三国志に出てきそうな名前やな
ちなみにワカタカの調教師は東原玉造さんと言う方です。
東原さんはダービー前に函館ジョッキーに色々細かい指示をだしたそうです。
今でも調教師の先生からジョッキーに指示がでることは多いですよね。
東原調教師の指示に対して函館騎手はこう述べたそうです。
「ごちゃごちゃ言うな。お前とオレとじゃ腕が違う。今日のレースはオレにまかせとけ」
このセリフには思わず吹き出しました。
令和の時代にジョッキーがこのセリフを調教師に言ったらすぐに主戦下ろされますよね。
第1回日本ダービー払い戻し
第1回の日本ダービーの払い戻しは単勝が39円でした。
当時の馬券は発行単位が20円でした。
ワカタカの単勝を買っていれば19円儲けたんですね。
当時の小学校教師の初任給が40円で、20円の馬券は相当高額だったそうです。
そのため、競馬場に来て同じ馬を買う人を探して数人で1枚の馬券を買ったそうです。
第1回日本ダービーのタイム
第1回日本ダービー優勝馬のタイムは2分45秒でした。
ちなみに昨年は2分22秒でしたので、90年間で23秒も速くなっています。
競馬場の高速化ももちろんあると思いますが、競走馬が年々進化しているんですね。
90年後の2112年には2分切る馬出てきてるかもね
第1回日本ダービーおまけ
第1回日本ダービーを見て驚いたことが、調教師と騎手が同じ人が結構いたことです。
昔は調教師がそのままレースで馬に乗ることもあったんですね。
まとめ
今回は日本ダービーの歴史について色々調べてみました。
調べてみると現在と異なることが多くて面白かったです。
皆さん日本ダービーを楽しみましょう。
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